演目『土蜘蛛』(つちぐも)
『土蜘蛛』とは
能楽や歌舞伎、小生の大好きな神楽(里神楽)など伝統芸能で演じられる定番の演目であります。
時は平安時代、大和国の守である源頼光(みなもとのよりみつ又は、みなもとのらいこう)と彼に従う四天王による妖怪退治のお話です。妖怪が蜘蛛の糸を投げつける派手な演出で知られています。
源頼光とは後の源氏の興隆の礎を築いた実在の人物です。古典芸能の『酒呑童子』『戻り橋』『茨木童子(いばらきどうじ)』などの武勇伝に登場します。妖怪退治の代名詞のように言われていますが、これらは頼光四天王とともに摂津大江山へ向かい蝦夷(えみし・えぞ) 討伐を行ったことから産まれた逸話であります。
今回は能、歌舞伎、神楽においての演目『土蜘蛛』を見比べてみたいと思います。ストーリーはおおむね同じではありますが演出は大きく異なります。
それぞれのあらすじと動画をご覧ください。
能楽 『土蜘蛛』あらすじ
(1573年作)
病に伏す源頼光のもとへ侍女の胡蝶(こちょう)が薬を届けます。
そこへ見知らぬ法師が登場します。
古今集の一節を唱えながら近づく法師の正体は蜘蛛の化身です。
繰り出す千筋(ちすじ)と呼ばれる糸を名刀膝丸で切り払うと法師は姿を消してしまいます。
頼光は膝丸を蜘蛛切と改名し家臣の※独武者(ひとりむしゃ)に蜘蛛の化け物を退治するよう命じます。
独武者が土蜘蛛の血をたどると古塚の中から土蜘蛛が現れます。千筋で抵抗するも独武者たちによって退治されてしまいます。
※独武者 とは家臣の一人平井保昌と解釈されています。
能 『土蜘蛛』 ダイジェスト版
後ろに手をつかずにバタンと倒れる「仏倒れ(ほとけだおれ)」に注目 4分50秒あたり
歌舞伎 『土蜘蛛』あらすじ
(1881年作)
家臣の一人、平井保昌が頼光を見舞うところから始まります。
ここでも胡蝶が薬を持って侍女として登場し舞を披露します。
比叡山より来たという僧の智籌(ちちゅう)が登場します。
祈祷を始めますがその怪しい影に気付かれると土蜘蛛の精だと名乗って襲いかかります。
土蜘蛛の精は名刀膝丸の威力によって退散します。
頼光、保昌、四天王たち(渡辺源次綱、坂田公時、碓井貞光、ト部季武)は土蜘蛛の住処を突き止めます。
土蜘蛛は日本を魔界にする目論みの手始めに頼光を襲った事を告げます。激しい戦いの末土蜘蛛は退治されます。
歌舞伎 『土蜘蛛』 海外公演ダイジェスト版
能とは異なる掛け合いの面白さも魅力のひとつ
神楽 「葛城山」(かつらぎざん)
あらすじ
(明治初期に現在の形となりましたが源流は1612年にまで遡ります)
大和国の葛城山に住み着き天下をかく乱しようとする土蜘蛛の精が、都の守である頼光に忍び寄ります。
病に伏せる頼光は侍女の胡蝶に薬を持ち帰るよう命じます。胡蝶は薬をつかさどる典薬頭(てんやくのかみ)に化身していた土蜘蛛の精に襲われます。
胡蝶になりすました土蜘蛛の精は頼光に薬といつわって毒薬を飲ませるのですが見破られます。土蜘蛛の精は宝刀膝丸で切り付けられ退散します。
頼光は我が身を救った宝刀を蜘蛛切丸と改め、四天王の内の二人(卜部季武、坂田金時)へ授けると土蜘蛛退治を命じます。葛城山にて妖術を操る土蜘蛛の精と闘い、これを成敗します。
神楽 『葛城山』ほか 神楽門前湯治村においてのダイジェスト版
一般的な神楽のイメージとは一線を画した軽快で激しい囃子と舞いにご注目
考察
それぞれ独特の趣きがありますが、三様とも源頼光が主人公であります。また土蜘蛛退治が一番の見せ場でもあります。しかしながら頼光自らが現場に出向いているのは歌舞伎のみであります。
神楽では侍女の胡蝶は蜘蛛の化身という設定であります。それぞれ設定が異なるのは興味深いところです。
今回動画で紹介した神楽は「鬼滅の刃」に見られるような祈祷や奉納を主とする御神楽(みかぐら)とは趣きが異なります。民衆の為の演劇性の高い里神楽へと枝分かれしたものであります。
演目『土蜘蛛』誕生悲話
『古事記』『日本書紀』『常陸国風土記』などに大和朝廷に従わなかった為に滅ぼされた民族を指す言葉として土蜘蛛の記述が残っています。
歴史書が示す通り、時の権力によって土地の民族が駆逐されたのは事実のようであります。
平家物語を下敷きとして古代の民族と中世における源頼光伝説とが結びついて誕生したのが能の『土蜘蛛』であります。
また、頼光の父・源満仲は前述の土着の一族と結託して藤原氏に反逆を企んだのですが、一族を裏切ったため、彼の息子である頼光と四天王が土蜘蛛といった妖怪たちから呪われる土壌があったという説もあります。
最後に
演目『土蜘蛛』は源頼光の勇壮で華やかな武勇伝として現在まで伝承されています。
それは伝統芸能に限らず漫画やアニメにおいても受け継がれています。
私の大好きな漫画「北斗の拳 修羅の国編」では強敵土蜘蛛(砂蜘蛛)が登場します。
最近では「鬼滅の刃 那田蜘蛛山編」「胡蝶しのぶ」等の名前からも『土蜘蛛』に対するオマージュが見受けられます。
しかし滅ぼされた側から見ればこれは悲話なのであります。歴史とは勝者側の視点で書かれた記録であります。勝者がいれば必ず敗者が存在するのです。
私は、小学生の頃に神楽が好き過ぎてお面を自作したことがあります。舞いを習って演じた事もありました。派手な動きや華やかさに憧れての事でした。
今でも神楽は年に幾度か見る機会があります。最近は打ち滅ぼされる側の視点からも観賞するよう努めています。私も幾分大人になったということなのでありましょう。
完
島根県石見地方に伝わる「石見神楽」 激しい舞いに魂を揺さぶられます。
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