江戸時代前期に尾張国(おわりのくに:現在の愛知県)で活躍し、尾張随一と称された刀工、「政常」から事実上の3代目を引き継いだ刀工の作刀と考えられます。
3代目政常は名を「佐助」と言い、2代目政常「納土太郎助」(なんどたろすけ)が早世したため、岐阜の名工「大道」の子から政常の養子となりました。寛文2年(1662年)に美濃守を受領し、初代に引けを取らない技量で、槍の名手として名を馳せたと伝わっています。銘に政常の字を切る際、常の字の最終画を長く伸ばすのが特徴です。
「十文字槍」とは、穂に鎌の刃のような枝が出た槍の中でも、十文字の形になっている物。本槍は小ぶりな姿で、表に定説通り常の字の最終画が延びた「美濃守藤原政常」の銘があります。地鉄は板目肌に柾目肌が交じり、刃文は直刃(すぐは)に互の目(ぐのめ)が交ざる小沸出来(こにえでき)です。