「大千鳥十文字槍」(おおちどりじゅうもんじやり)とは、槍身の両側に、左右対称に枝が付けられている「十文字槍」の一種である槍の総称を指します。大千鳥十文字槍という名称は、この十文字槍の枝にそれぞれ突起が付けられており、その姿が千鳥が飛び立つさまに似ていることから付けられました。
大千鳥十文字槍には、穂(ほ:槍の刀身部分のこと)が3つあることから、突く以外に、払う、引くという多彩な攻撃方法があります。槍は戦国時代における主要武器のひとつでしたが、重たく、複雑な動きで敵を攻撃する大千鳥十文字槍を馬上で扱うには、高い技術力が必要とされました。
そして、この大千鳥十文字槍を持って戦ったとされる武将が「真田幸村」(さなだゆきむら:真田信繁とも)です。日本一の兵と言われる真田幸村は、「関ヶ原の戦い」を父「真田昌幸」(さなだまさゆき)と共に西軍として戦ったのち、九度山(くどやま:現在の和歌山県伊都郡九度山町)に蟄居(ちっきょ:刑罰のひとつで、外出せず謹慎すること)させられることとなりました。
現在、九度山にある真田父子の屋敷跡には「善名称院」(ぜんみょうしょういん)、別名「真田庵」が建てられ、真田幸村が所有していたと伝わる十文字槍の穂先が伝来しているのです。
真田幸村が使用していたと伝わる槍の柄は、「真田の赤備え」(さなだのあかぞなえ)と同様に、鮮やかな朱色をしていたとされています。朱色の槍は、「朱槍」(しゅやり)と称され、優れた武功を立てた者のみが持つことを許されていました。