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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 歴史1(設楽原・長篠) › 情報 › 設楽原で再現馬防柵修復作業

2019年12月22日

設楽原で再現馬防柵修復作業

設楽原で再現馬防柵修復作業設楽原で再現馬防柵修復作業

 3000丁の火縄銃が使われた日本戦術史上画期的と言われる長篠設楽原の戦い。その舞台となった竹広の設楽原できのう21日、馬防柵を愛する会(中嶌豊会長)と設楽原をまもる会(今泉研吾会長)による馬防柵修復作業が行われました。
 1982年に2つの会により、2㌔に及ぶ馬防柵のうちの160㍍が再現されました。その後37年間、会員の皆さんにより毎年修復を繰り返してきました。現在は、毎年5分の1ずつ修復し、5年で一回りする方法で行っています。
 青空の下、約30人の会員が手際よく30㍍ほどの区間の柵を撤去し、準備した50本の注入材を使って新たな柵を設置しました。木と木を番線で固定するとともに、ロープを垣根縛りで結んでいきました。作業は、午前中3時間ほどかけて行われました。 
 地元の滝川健司市議、小野田直美市議もしっかり作業してみえました。
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