元小倉玉屋社長、田中丸善昌さん死去 90歳 街づくりに貢献

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「田中丸コレクション」の継承者であり、音楽愛好家でもあった田中丸さん。戦後の米軍極東放送を聴いてジャズに親しみ、クラシックにも造詣が深かった=北九州市小倉北区のホテルで2008年11月19日、田鍋公也撮影
「田中丸コレクション」の継承者であり、音楽愛好家でもあった田中丸さん。戦後の米軍極東放送を聴いてジャズに親しみ、クラシックにも造詣が深かった=北九州市小倉北区のホテルで2008年11月19日、田鍋公也撮影

 元小倉玉屋社長で北九州音楽協会や小倉茶道協会の会長などを務めた田中丸善昌(ぜんしょう)さんが18日、90歳で亡くなった。小倉北区で22日営まれた葬儀には約150人が参列。「ゼンショウさん」と呼ばれ親しまれた田中丸さんの人柄をしのんだ。

 田中丸さんは福岡玉屋、小倉玉屋創業者の故・田中丸善八氏の次男として生まれ、1958年、現在の小倉北区室町にあった小倉玉屋に赴任。78年から閉店した2002年まで社長を務めた。「店づくりは街づくり」という父の教えに従い、街と共に発展する百貨店経営に力を尽くした。

 「紫川以西に人を寄せることが使命」が口癖だった。室町地区はかつて国鉄小倉駅を擁する有数の繁華街だったが、1958年に駅は現在地の小倉北区浅野に移り、人出は激減した。田中丸さんは住民らと西小倉地区再開発協議会をつくり、自ら会長に就任して駅の復活運動を展開。74年に西小倉駅の開業にこぎつけた。

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