馬防柵 | 歴史の舞台に立つ!!

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歴史の舞台を時系列にてわかりやすく紹介していきます。




馬防柵2

馬防柵1

馬防柵3

【概要】

1575年5月21日早朝、鳶ヶ巣山攻防戦の大勢が決したと思われる頃の

設楽原では、退路を脅かされることを恐れた武田軍が動きます。

ところが織田・徳川は設楽原決戦にあたり事前に馬防柵を準備していたのです。

襲い掛かる騎馬隊を信長の側近部将が指揮する鉄炮隊が迎撃を浴びせます。

この合戦で信長は鉄炮を3段に構え交替で一斉射撃を行う戦法をとったと伝えられています。

武田騎馬隊は2段目までの突破にとどまりあとは総崩れ。

鳶ヶ巣山攻防戦も含むと武田軍は1万2000名の犠牲を出し

織田・徳川の圧勝に終わるのです。


【住所】

愛知県新城市大宮字清水



【参考ホームページ】

長篠の戦


【地図】



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