能 土蜘蛛 | 翡翠のブログ

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日々の徒然をつづっています。コメントは承認後公開させていただきます。

今日はクリスマスイブ。最初はクリスマスらしいコンサートに行こうかと思っていたのですが、先日能を観に行ったときのチラシに、「-NOH- クリスマスイブコンサート」というものがあって、へえ、クリスマスに能か・・・と演目を見ると「土蜘蛛」!、観たかったやつ!

◇番組
狂言「附子」   井上松次郎・鹿島俊裕・佐藤友彦
舞囃子「小袖曽我」   久田三津子・瀬戸洋子
能「土蜘蛛」   梅若紀長・久田勘鷗

 

以前から「土蜘蛛」を観たかったのです。私の能のバイブル、「花よりも花の如く」に、土蜘蛛を舞う主人公と、友人であるワキ方との話があって、そこに出てくる蜘蛛の糸をシュパーッと投げるところが、とても観てみたくて。しかし公演予定日に仕事が入ったり、どうしてもタイミングが合わず観られないでいました。

 

これはぜひ観なくては!と。親子で楽しみましょうという企画ですが、残念ながら誘った次男坊は講習があり、子どもが勉強しているときに、親だけ楽しんできました。

 

初めてでも楽しめるというコンセプトなのでしょう。最初に井上松次郎さんが狂言についての解説。狂言とは何か、どんな特徴があるか、なぜ「毒」を「附子」 (ぶす)と呼んだのかなど。

狂言「附子」 は巡回狂言教室などでも過去にも何度か観たことがあるのですが、鉄板の面白さ。天目茶碗を割る場面の「チーン」という音が面白く、客席の子でまねしている子もいました。

 

次に久田勘鷗さんの能解説。能とはどんなものか、舞囃子「小袖曽我」と能「土蜘蛛」の紹介など。筋を話してしまうけれど、それは能はストーリー、筋を知ったうえで観るもので、ドラマを楽しむというより表現を楽しむもの、想像力で楽しむものと。

 

手元に持っている以前に少しだけ謡を習ったときの教本「観世流初心読本」にも「土蜘蛛」があり、解説と謡が載っています。また「対訳でたのしむ」シリーズにも「土蜘蛛」があり予習して、加えて持ち込んで、チラ見しながら鑑賞。

 

源頼光が臥せっていると蜘蛛の精が僧形で襲ってくる。撃退した頼光は、家臣の独武者の追討を許す。独武者は供の武者らと土蜘蛛を追い詰め、遂にはうち滅ぼすというもの。平家物語の異本、源平盛衰記の「剣巻」にある物語を元にしたと考えられていて、作者は不詳らしい。

(歌川国芳)

 

感想、めちゃめちゃ面白かったです。これまで観た舞台では、マイベストが「夜討曾我」、次は「葵上」か「安達原」か「船弁慶」か迷うところだったのですが、今回、ベスト1は「土蜘蛛」に変わりそう。確かに「夜討曾我」は、敵方の武士たちがワラワラと橋掛かりから襲ってきて、橋掛かりの欄干から柱すら越えてきてしまうわ、切られて前に後ろにドーンと倒れるわで、すごい迫力の面白さだったのですが、前段が少し地味で眠い。その点、土蜘蛛は前段も病で臥せっている源頼光のもとに蜘蛛の精が僧形で襲ってくる。早速、蜘蛛の糸シュパーがあるのです。てっきりシュパーは後段の蜘蛛の姿になってからか、少なくともあるとしても少しかと思いきや、さっそく、4発も!シュパーッと頼光を襲い、それを頼光が枕元に持っていた大刀、膝丸で切りつけるカッコよさ。結果、膝丸は蜘蛛切と名を改めることに。

 

中入りの狂言のしゃべりは、「対訳でたのしむ 土蜘蛛」には、「手柄をたてたいので、主君の出陣を自分にも知らせてほしい」とあったのですが、実際には「迷惑」と言っていて、留守番するよう言われたあと、口では「残念、手柄を立てたかったけれど、留守番も大事」と言いながら、表情はすごく良かった、やれやれ、という感じのニコニコ顔で面白かった。

 

後半、独武者が蜘蛛の精を追っていき、追い詰め戦う場面では、作り物の山から土蜘蛛が登場。蜘蛛の巣を模した白い紙テープをバリバリと破って登場するところがまず面白い。

そして戦いが始まり2回シュパー、橋掛かりに移動して2回シュパー、舞台に戻って2回シュパー(うち、1回は残念ながら不発)、遂に追い詰められ舞台の方に向けて2回シュパーで計8発、舞台の屋根近くの横柱から、地謡の人から、舞台全体あちこちに糸がかかり、蜘蛛の糸ということではあるけれど派手や、華やかな美しい舞台。そして、「花よりも花の如く」に書かれていたように、舞台の人はだれ一人として表情を変えず、退場する人に糸が引っ張られ、ついていき、スーッと糸が消えていく。「なんて面白いものを観たんだ!」と興奮し満足する終演でした。

 

「対訳でたのしむ」の解説に、化け物退治の中心人物が独武者と名がなく、ツレの侍女に蜘蛛に縁のある胡蝶という名があるなど、「一見はワキ方重視の能に思えるが、実はシテ中心主義の能」とあったのですが、頼光といい独武者といい、結構、ワキ方が活躍する能だと思います。特に前段は、素面同士のため、頼光の方が迫力あったし。後段の土蜘蛛も、通常のシテに比べると舞はあまり比重が高くみえなかった。しかし、土蜘蛛の精の面と髪は迫力あったし、なんといっても糸をシュパーッとがかっこいい。野外能で観ても良さそう。

 

能の深みという点でいうと、安達原や葵上の鬼が、鬼になってしまった、もしくは鬼である哀しみ、苦しみ、つらさをも感じさせられるのに比べると、土蜘蛛の精は怪であり妖であることが第一に感じられる。「対訳でたのしむ」の解説によれば、「作品の奥には、虐げられた者の悲しみなど、古い伝承世界が潜んでいる」ともありましたが、同時に「手の中から一瞬のうちに大きな巣が拡がってゆくのが、最大の魅力」とまさしく思います。

この点、「初心謡本」の曲趣にも、「さういったものは能本来の表現精神からは大分距離のあるもので、いわゆる芝居がかったものの部類に属し、一般人には喜ばれるけれども、能の通人たちには軽視される傾向がある。何となれば、そこには能で最も重要なものとされる幽玄の情趣といったやうなものは殆ど全く表現される余地がないからである。」とあり、確かにそれはあるように思います。しかし、そうはいっても、やはり私のようなまだまだ能の初心者の身から観ると、純粋に楽しくて面白くて、胸がすくようで、あまり土蜘蛛の悲しみを感じすくい取る余地はまだないかな。うちの子どもたちも、土蜘蛛で能初デビューしておけば、もっと親しみを感じてくれたかもと思います。

 

なお、不発の1発は終演後、近くに座っていた男の子が興味津々で見に行っていたので、私も見せてもらって、「きっと再利用はできないだろうから、もらっていけばいいと思うよ」と言うと、嬉しそうに拾っていきました。写真だけ撮らせてもらえばよかったかな。客席には、なんと2歳という子もいて、すごいなあ、2歳で能デビュー、先が楽しみです。能好きの子が今後も続いてほしいですから。