【織田信長ガイドブックを攻略せよ!】 (長篠の戦いコース)
長篠設楽原の合戦といえば鉄砲はモチロンですが、もうひとつ特徴的なのは、この【馬防柵】。
最近の研究では、武田軍は馬では突撃していないという説が有力です。
確かに現場に立ってみると湿地帯に囲まれていた事が分かります。
つまり馬で突撃はかなり不利。
なので、馬を防ぐ柵という意味の馬防柵とは呼ばないのでは?
という疑問もありますが、ここは純粋に史跡を楽しんでみましょう!
↑織田・徳川連合軍側の目前に立てられている再現された馬防柵。
ここから鉄砲を撃ったのでしょうね。
しかし当時の馬防柵は、単純に柵だけではなかった!
その事を【設楽原をまもる会】の考証責任者・名和弓雄氏(故人)が詳しく再現しています。
↑ まず、柵に使われている木の枝は、あえて落としていませんでした。
ワザと残しているんです。
これは障害物、現在でいう有刺鉄線みたいな役割もあったとのこと。
確かにツルツルの木にしてしまうより、枝が残っていたほうが防御面でも効果がありますよね。
↑そして馬防柵を横から見てみましょう。
すると、柵の前に堀。
そして後ろに土塁を築いていた事がわかります。
確かに前方に堀があれば、柵に取り付く前に敵の動きが鈍りますね。
後方の土塁は、敵から鉄砲・矢を射られたとしても、ここで防ぐ事ができます。
そしてこの堀の前方は連吾川。
なので武田軍から見ると、
湿地帯 → 連吾川 → 堀 → 馬防柵 → 土塁
を越えてはじめて敵と白兵戦で戦えるという事です。
これで戦いを再現してみると、
↑ こんなカンジになります。
確かに柵だけでなく、堀・土塁もセットのほうが守りやすい。
命のやりとりの戦では、当然考えられる事ですよね。
この考証された馬防柵は、馬防柵再現地の奥の方にありますので、是非チェックしてみてくださいね。
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